教授が言うには簡単らしいが、怠惰に過ごした日々は簡単を難解にしてしまった。当然のように出る未知の言葉は皆には理解できるようで、私の惨めさが際立つ。虎になる臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持ち合わせる私には人に尋ねるなどは選択肢にないのだ。分からないことが分からないが、分からないを考える私という存在の証明が終わると90分が経ったようだった。教授はパソコンを畳み、生徒は席を立つ。分からないを悟られないように顔を隠していた私は人流に一足乗り遅れた。早く文具を鞄に詰めこみ、教室を急いで出た。早く教室から出なければ、分からないことを考えなければならなくなる。あの密室から脱せば、来週に持ち越してしまえる。腹が減ったが金がない。腹の虫の鳴き声が響く。胃が収縮し唾液が出る。唾を飲み胃を宥め、図書館へ行く。本だけが私の拠り所だった。私に友達はいない。家族はそれを指摘するが、私の心は誰にも知れなければ、相手の心も知れない。友達など表面でしかつながり合えない幻想である。知り合いと何が違うのか。寂しくないのかと聞かれるが、寂しさを本が埋める。本が一番の友であった。サッカーボールが友達として計上されるならば、本も同じだろう。装丁が綺麗な小説を手に取る。真ん中から開いて活字の上に目を滑らせる。文脈から切り離された文は訳が分からない。講義のようだが、小説には感情があるのだ。 活字で隔てた向こうの世界の住人になれる。たくさん本を読めば、1000年生きた心地がする。感情が、思いがインクから溶け出し、私の体を血とともに巡るように、体が熱くなるのだ。時には脳を灼かれ、心臓を止める。本が友としているのは、本は有機物であるように思えるからだ。講義にも熱いものがあればやる気はあるのだが、なんとも無機質に思えて仕方がない。教科書をひらけば、優しさもへったくれもない解説文が並び、暗記することを求めてくる。教授も教授だ。講義というものは時間毎の情報量が最悪だ。喋るスピードも遅ければ、内容の進みも遅い。冗長なものの代表と言っていいだろう。私は悪くない講義という授業形態が悪いのだ。繰り言を吐いては、虎になる準備を着々と進める。気づけば、3限の始まる時間であったが、友を放って置けないので欠席することにした。
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