無音

いつから音がないことを恐れたのだろう。

音がなくなると、今までがどれほど賑やかであり、今がどれほど孤独であるかを知ってしまうからだ。

1人を紛らわすために、テレビをつける。Youtubeを見る。音楽を流す。

誰かの声が、賑やかな曲が、孤独の音をかき消す。

伽藍堂が、シーンという音が、どれほどに耳障りなことか。

音がなければ、私の頭は私の思考でいっぱいになる。

音がなければ、脳は思想に犯される。

音がなければ、謂れのない社会正義に押し潰されそうになるだけ。

音は脳を一口食べてくれる。

余計な思考はできない。

自分の在処も歯車としての価値も考えなくていい。

音がある世界に生活が始まるのだ。

誰かの話し声が、画面の向こうの歌が、隣の笑い声が。

 

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