弱者がいる。
金がない。
働けない。
人がいない。
生きてけない。 etc.
貧困をどう解決しますか?
ー金銭的に支援をします。
そんなもので、貧困は無くなるのか?
貧困はなぜ生まれたのか。
ー自由だから。
自由になるということは実力主義になることだ。
ネットに情報が転がっている今、情報格差が広がる。
ネットがない、印刷機がない、そんな時代。
知識は上流階級のもの。
私たちは知らないことが普通であった。
知らなくてよかった。
自由になれば、実力が明瞭となる。
情弱が生まれる。
自由化は弱者を生む。
貧困はあらゆる実力が足りない弱者だ。
貧困が才能ない人間というわけではない。
評価される実力を持ち得ていないのだ。
弱者は実力をつけなければならない。
だから、教育は大切で大人たちは勉強をさせてくる。
私が最も危険だと思うのが、善意で金銭的支援だけを行う者だ。
弱者に必要なのは、支援ではなく実力である。
実力をつけるためにはお金は必要だ。
しかし、金銭のリテラシーという実力がない可能性が十分にある。
その場合、弱者は支援金に依存してしまう。
それが、感情まで侵食してくるとさらに問題になる。
もしあなたが親元を離れて、怒られ叱られ辛い日々を自身の夢のために頑張っている。
叱られた時慰めてくれた人、一人でいるあなたを気遣ってくれた。
その人はあなたにとって優しい人間ですか?
これはグルーミングである。
つまり、ジャニー喜多川さんの行った手口である。
Jr.として頑張っている時に、優しく接した。
結果として被害者を生んでしまった。
優しい人が悪人だったら?
あなたは知らず知らずのうちに、逃げられなくなる。
いつの間にか喰われる。
優しい人は信頼を得やすい。
信頼を悪用すれば、人を意のままにすることは容易い。
根拠は私もしているからだ。
今まで読んだ内容にあなたが納得した時。
私はあなたに正直に情報を与えているという信頼がある。
私はあなたに危険だと教えている優しい人である。
つまり、少しでも信じているならば、あなたは私の意のままになっている。
本当か嘘かそれが問題だ。
それはそうだが、科学も完全に正しいとは言えない。
嘘は本当に、本当は嘘になる。
少なくとも、この世に普遍の真実を私は知らない。
つまり、容易に私たちは善意・悪意、故意・偶然に関わらず、間違いを犯す。
意図せす、犯罪者にはならなくとも、誰かの人生を搾取する可能性があるのだ。
弱者との間で、救った・救われたの関係になるのは、リスク回避のためにやめるべきではないか。
熊の保護活動は人間を怖がらせることが大切だ。
可哀想だからと人間が手を差し伸べれば、熊を射殺せざるを得ない未来を辿る可能性がある。
本当の優しさとは、感謝される優しさでは決してない。
実際、弱者を救ったのか?
足を掬っただけではないか?
「変わったのは自分のおかげだろ よかったな」
こう言い飛ばすスタンスが必要ではないか?
『君の神様になりたい。』カンザキイオリ
歌詞(一部抜粋)
「『あなたに救われました』と 『生きたいと思いました』と ああそうかい、 変わったのは自分のおかげだろ。 よかったな。」
弱者は実力をつけるしかどうしようもない。
私たちが救えるはずがない。
自ら実力をつけなくてはならない。
できたとしても、頑張れと応援するぐらいだ。
頑張っていかなければならない。
どこまで行っても「変わったのは自分のおかげ」だ。
必死に生きなくてはならない。
私たちは救えない。
私たちは人間だ。
君の神様になりたいけれど、
私たちは無力だ。
私も弱者だった。
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